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応援団 ジジイブログ

4 6月

史上最大の作戦 時はきた (最終回)

75-3


いよいよ時は来た。

作戦は決行前日の65日夕暮れとともにイギリス空軍の
ランカスターによる陽動作戦で始まった。

そして、日付が変わった66日午前130分、アメリカの
101空挺師団の部隊が上陸地点の内陸に降下作戦を開始。
予定されていた集合地点に向かう中、ドイツ軍との戦闘が
始まる。

史上最大の作戦がついに動き出したのである。

上陸部隊は多くの艦艇に乗り込んでドーバー海峡、
ノルマンデュ海岸沖の集結地点に向けて洋上を進む。
そこから上陸用舟艇に乗り移る。揺れる海の上での
乗り移り作業であったが、何度も訓練を重ねてきた。

辺りが明るさを増す中、連合軍の上陸用舟艇が次々と
海岸線に押し寄せる。

ドイツ軍守備隊の反撃も増す中、海岸線に到達した
上陸用舟艇の扉が開く。

シャーマンが、そして兵士が飛び出して行く。

GO!!

ゴー、ゴー、ゴーッ!!


**************************************
 

その状況は多くの写真などに記録され、75年たった
今に伝えられています。

ジジイにはやはり、ロバート・キャパの残した写真が
印象に強く残っているのです。

みなさんはいかがでしょうか。

お手元に作られたシャーマンが、動き出して見えたりしませんか。

27 5月

天気予報と決断のせめぎあい (第4回)

75-3


天気予報は最後の最後までアイゼンハワーを
はじめとする上層部を悩ませたに違いない。

当時天気予報を担当していたのはロンドンの
海軍本部、そして、イギリス中央予報局、さらに
アメリカ陸軍航空局気象センターの3つの機関が
それぞれの予報を出していた。

529日からはまさに天気予報と決断のせめぎあいが続く。

その時点ではまだ好天であったものの63日に
導かれた予報は低気圧が海峡上に達し、天候は
悪化するという予報へ。
すでに作戦実行の2日前。
機材の積み込み、兵員の乗船なども始まっていた。

63日午後930分。新たな予報が出される。
65日は荒れ模様の天候というものであった。

予報通りに天候が悪化し始めた64日午前4時。
アイゼンハワーを中心にした司令部はついに24時間の
作戦延期を決定。

緊張が続く64日夜、さらなるミーティングで気象班
からはこの後、36時間程度天候の回復が望めるとの
予報が出された。


決断の時であった。


最終決断はアイゼンハワーによって下された。66日決行。

時は64日午後930分のことである。



17 5月

刻一刻と迫っていた (第3回)


75-3



 ノルマンディー上陸作戦決行の日程を決めなければならないタイミングは

刻一刻と迫っていた。

上陸に必要な潮の状況をはじめとする条件を検討すれば決行の日程は限られていた。

 6月では4日からと下旬のそれぞれの期間しかなかったようだ。

すでに続々と各国の部隊はイギリスの南部に集結を始めていた。

その間にも偵察部隊がドイツ軍に捕まるなどの事件が起こり、情報の管理という面

でも神経をすり減らすことが続いていたのである。

そうした緊迫の中、アイゼンハワーが下した決定は65日。523日には司令官にも

その日程が伝えられたとされる。

 Ðデイは65日。すべての作業がその1日に向かって進み始めたのである。

兵士たちにもいよいよその目的と作戦の詳細な内容が伝達され、フランスの

レジスタンスには暗号の通信文が発信された。

それでもまだ、一抹の不安が残っていた。天候である。そこからは気象予報、

天気との神経戦が繰り広げられることになった。

その予報は決して希望するものではなかったのである。

7 5月

75年前の時と歴史を旅する (第2回)


アスカモデル勝手に応援団のジジイです。


書籍などの文献によればノルマンディー上陸作戦の実施にあたっては
綿密に作戦指示書が作られている。それは、連合国が集まっての作戦
であることからしっかりした意思疎通の必要性も手伝っていたのでは
ないだろうか。こうした準備は数年前から着々と進められていたこと
がわかる。

4月末、作戦実施予定まで1か月をきって、参加部隊はイギリス南部に
続々と集結。海岸線を使用した上陸訓練が実施されていた。それでも
各兵士には作戦の詳細や日程などは伝えられることはなかったようだ。

そのころ発生した大きな事件として記されているのは427日に
起こった上陸訓練中のLST撃沈だ。ドイツ軍の魚雷艇による攻撃で撃沈
されたのである。

多くの人命が失われたのみならず、貴重なLST3隻が失われている。
作戦実施にあたっての機材確保にも危機が迫っていた。

さらに、訓練中の兵士の中には作戦指示書などを持った上級士官も
含まれ、しばらくその書類がドイツ軍にわたったのではないかとの
心配もされてようだ。

 作戦実施まで、まだまだ緊張が続くことになるのであった。


こうした記述をみなさんもご存知だと思うがチャールズ・メッセンジャー
の本を今一度ひも解いて読んでいる。

このご時世、ネットを検索すればさまざまな資料や動画なども見ることが
できるだろう。
しかし、じっくりと歴史を、時間を旅するにはこうしたペーパーの、
アナログな船があっているように感じるのは歳のせい?


35018-250



2 5月

さて、突然お邪魔します。(第1回)

アスカモデル勝手に応援団のジジイです。


さて、突然お邪魔します。

 

実は、アスカモデルのシャーマンキットの説明図にたわいない実車解説をいくつか書かせていただいています。

決して自慢しているわけではないので念のため。自慢できるような文章ではないと思っている。

 

そんなご縁で勝手に言いたいことを書かせていただこうとキーをたたいています。



 

 アスカモデルのファンのみなさまはかなりマニアックな方ばかりだと思いますので今更とは

思いますが少しばかりお付き合いいただければ幸いである。

 

時代は平成から令和へと移り変わりました。


時代の変わり目、節目に生きていることを強く感じます。

自身が歳をとってきていることも関係しているとは思うが。昭和が終わった日は東京で

イベントの担当をしていて本社とどう対応するかであたふたしていたのを思い出す。

 

ところで第二次世界大戦のターニングポイントといえばノルマンディー上陸作戦であろう。


今更言うまでもないだろうが作戦決行日、Ðデイは66日であった。

 

時は1944年。そう今年はそれから75年がたつ。


幸いにして自身は戦後の生まれなので戦中のことは経験することなく過ごしてきた。

しかし、当時の人々は大きな決断を迫られていた時期なのに違いない。

その心やいかばかりであったのか。想像もつかない。

 

史上最大の作戦の実行まで1か月を切っていたのである。


35022-5



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